子どもとの関係性の大切さ

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私は今年、園を移動になりました。するとどうなったかというと子どもたちが全員知らない子になったのです。

しかし私には保育経験が五年ある。何とかなるだろう・・・

そんな風に思っていましたが甘かったです!

今回は私の体験をもとに子どもとの関係性の大切さについて書いていこうと思います。この記事を読むことによってわかることは以下です。

  • 経験とか意味ない
  • いうことを聞かせても信頼とは違う
  • 子どもとの関係性の大切さ
  • 大事なのは何気ない時間

それでは詳しく話していきますね。

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経験とか意味ない!(五年目なんてへっぽこな件)

新しい園に移動という形になり、役職はありませんが三歳児の複数担任の主を任せられました。私なりに「今までの保育を生かしてバリバリやるぞ!」と意気込んでいたものです。

それが四月の事。2020年はコロナで、特に4.5月は大変でした。緊急事態宣言のため子どもとも会えず、そろったのは六月に入ってから。つまり六月に二カ月遅れの新学期ということですね。

それに関しては問題ありません(動揺はしまくりでしたが)。問題なのは子どもたちが二カ月園生活をできていないという事。それでも子どもの成長は止められないので正直焦っていました。年間カリキュラムも見直したものの、妙な焦りに追いかけられつつ園生活開始です。

さて始まってみて現実は

泣くわ走るは大声出すわ、自分の事なんてまだまだ出来てないわ

正直泣きそうでした。しかもほぼ新設園ということもあって先生も子どももこれから成長するところ。頼りになる在園児というものがほぼいないに等しいのです。

しかし私の他の担任は二人とも後輩。私がしっかりしなくてはと気合を入れました。その結果

いうことを聞かせても信頼とは違う

ということを実感しました。お集まりの時間になると絵本や手遊びを楽しみ出席を取ったり楽しいことをします。本来楽しい時間なのですが「きちんと」しなければ。話を聞いてもらいたい。いうことを聞いてほしい。と担任よがりなおあつまりになりました。

もちろん、五年の経験がいいのか悪いのか、子どもたちをこっちに向かすことは出来ていました。ただ、それが何だというんです。

こちらを向かされた子どもたちは言うことを聞くのは私だけ後輩のおあつまりでは好き勝手。

それでは意味がない

いうことは聞いてくれても私を好きになってくれない。つまり自由遊びの時間に私にあまりかまってくれない。

それでは意味がない!

そもそも保育というのは躾などとは全く違います。子どもと私の信頼関係があって初めて楽しいことを共有したり、私の言うことを聞いてくれたり、自分の気持ちを表現してくれます。

何とかしないと

そう焦る私の中には子どもが抜け落ちていたのです。

子どもとの関係性の大切さ

自由遊びの時間に寂しい思いをしてようやく気が付いた私は自分の保育を振り返り、子どもとの関係性の大切さに戻ります。

そこからはおあつまりの時間はほどほどに(五分で終わることも)自由遊びを大切にしていきました。一昔前は自由遊びは子どもを見守るのが保育士の仕事だったのかもしれませんが

私は子どもと遊びまくりました。それもまた独りよがりと気が付くのは後の話。

けれども子どもたちは私の熱意?のようなものはきちんと伝わっていったようで「お?怒るだけじゃなくておもしろいやん」「なんか楽しいこと色々する先生やな」というような様子になっていきました(実際には言ってない)

楽しいが共有されていくと子どもたちとは自然とうまくいっていくものですね。保育士とは常に未熟な物なのです。以上

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